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タイのナイトマーケットに魅せられて|チャトゥチャック・パーク駅の夜は別世界

タイは本当に住み心地が良い。1ヶ月でもいいから、もっとゆっくり滞在したかった。

バンコクの路上フットマッサージ。笑顔のスタッフが足をほぐしてくれる

この日は、フットマッサージでリラックスして、ワットアルン(暁の寺)での黄金の仏塔を眺めて、夜はナイトマーケットへ向かった。バンコクの一日を思いっきり遊び倒す。当時のぼくは、昼間は観光地を回り、夜間は別の顔を持つナイトマーケットに吸い込まれていた。

今思えば、バンコクって「同じ場所でも時間帯で全然違う顔を持つ街」だと感じる。日中の観光地と夜間の屋台街、その両方を経験すれば、バンコクという都市がより立体的に見えてくるんだろう。


チャオプラヤー川を渡ってワットアルンへ

チャオプラヤー川のフェリーに乗り込む。観光客も地元民も一緒に揺られる

ワットアルンへはチャオプラヤー川をフェリーで渡った。船着場から乗り込むと、観光客も地元の人もごちゃ混ぜ。揺れる船の上から見るバンコクの街並みは、また違った表情を見せてくれる。

フェリーの船べりから見えるチャオプラヤー川。タイヤの緩衝材が時代を感じさせる

チャオプラヤー川から眺めるバンコクの街並み。対岸にワットアルンの姿が見える

川の上から見える寺院群と、近代的なビルが共存する風景。これがバンコクだ。

チャオプラヤー川のパノラマ。水上交通が行き交う活気ある風景


ワットアルン(暁の寺)

ワットアルンの仏塔。当時は修復工事中で足場が組まれていた

到着してみたら、ワットアルンはまさかの修復工事中だった。笑

足場が組まれていて、あの有名な白い仏塔の全貌は見られなかったのだが、それでも圧倒的なスケール感は伝わってきた。工事中であっても、近くで見上げると首が痛くなるほどの高さなのだ。

今思えば、工事中のワットアルンも「その時しか見られない姿」だったわけで、ある意味レアな体験だったのかもしれない。完成後の姿は写真で何度も見たが、足場に囲まれた仏塔は、ぼくだけの記憶だ。


チャトゥチャック・パーク駅へ

バンコク・チャトゥチャック周辺のナイトマーケット。出店のライトが一面に広がる圧巻の光景

「ナイトマーケット」——日本ではあまり聞かない言葉だ。

でもタイ、それも特にバンコクに来たら絶対に経験すべき。夜遅くまで営業するフリーマーケット。昼間のショッピングモールとは違う、圧倒的な活気がそこにはある。

チャトゥチャック・パーク駅へは、BTSスカイトレイン(高架鉄道)かMRTメトロで簡単にアクセスできた。駅を出た瞬間、人間の波。人、人、人!! あたり一帯がライトで照らされて、まるで別世界に踏み込んだような感覚だ。

2026年現在でも、チャトゥチャック周辺のナイトマーケットは相変わらず活況らしい。スマートフォンアプリ(Grab、Foodpandaなど)も普及して、移動や食事の手段は当時より遥かに便利になったはずだ。ただ、あの人混みと活気のエネルギーは変わらないんだろうな。


奥へ奥へと続く出店の数々

光っているところ、すべてが出店だ。

車やバイクの部品、洋服、靴、手作りのサンダルに財布に小物入れ…食事系も含めて、ありとあらゆるものが売られている。

ぼくは露店を歩きながら、何度も何度も「こんなものまで売ってるの?」って思った。笑

規模だけで言えば、カオサンロード(バックパッカーの聖地)の夜間版みたいな感じなのだが、扱う商品の種類がまるで違う。あそこまでローカライズされていないというか、生活雑貨からビジネス向けの部品まで、「地元の人が本当に必要とするもの」が売られている感覚だ。

ナイトマーケットを別角度から。ヤシの木の向こうに出店のライトが続く

今思うと、ナイトマーケットはタイの「起業家精神」を見せてくれるショーケースなんだと思う。日本でいう「フリマアプリ」みたいなデジタル的なものではなく、自分の足で夜間に出店を広げて、直接顧客と向き合う。その生々しい経済活動の光景が、圧倒的なエネルギーに変わってるんだろう。


人が溢れかえる理由

人が本当に多い。

カオサンロード同様、ここでもぼくは気づいたことがある。多くの人が「単に商品を売る」のではなく、「自分ができることで何かを生み出そう」としている。

ダンスを踊る人、ギターを弾く人、歌う人…そういった路上パフォーマーたちは、「楽しませてくれたからお金をあげる」という、相互的な信頼関係のもとに成り立っている。

ぼくは物乞いには一切お金は渡さない。でも、自分の得意なことで何かを表現・提供しようとしている人には、楽しませてもらった分のお返しをするようにしていた。

これは日本でも完全に無いわけではないが、路上パフォーマーの数、エネルギー、そして人々の反応の大きさは、圧倒的にタイ(特にバンコク)が上回っている気がする。困窮しているわけではなく「生きる力強さを表現する」という姿勢を感じたのは、この時が初めてだった。


現地人の視点から見えたもの

この日のナイトマーケットは、現地に住む日本人の友人に案内してもらった。

その友人が教えてくれたタイの現実は、重かった。

タイは貧富の差が極めて大きい。所得階級によって、医療費も教育費も国から出ることがない。社会保障のシステムが日本とは全く違うのだ。

それなのに——いや、だからこそかもしれない——タイの人々は皆、楽しそうに生活している。満面の笑みで、仕事をして、家族と過ごしている。

ぼくはその時、衝撃を受けた。

日本って、経済的には圧倒的に恵まれている。医療も教育も、ある程度は国がカバーしてくれる。なのに、なぜ自殺率はこんなに高いんだ? その問いかけが、ずっと頭から離れない。

その問い自体は、この一夜では答えが出なかった。でも、バンコクのナイトマーケットで見た「生きる喜び」と「日本での生きづらさ」のコントラストは、その後の旅を通じて、ぼくの人生観に深い影響を与え続けることになった。

今思えば、当時のぼくが感じていた違和感は、「幸福度」が必ずしも「経済的豊かさ」と正比例しないという、シンプルな真理だったんだと思う。タイでの経験がなければ、こんなことに気づくことはなかったはずだ。


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つづく。


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