ただミラノの中心部を散策するだけでは、なんだか物足りない。
そこで、ふと思い立った。地下鉄の1路線、その終点まで行ってみようと。

期待していたのは、観光地のきらびやかな雰囲気ではない。観光客が誰もいない、庶民の生活が垣間見える光景だ。地図にも載っている、いちばん端の駅まで行ってみることにした。
知らない土地で、終点がどんな町なのか、どんな空気が流れているのか。それを確かめるのは、僕にとって何より興味深いことなのである。
30分揺られて、地上に出てみると
地下鉄に揺られること、約30分。終点の駅に到着し、地上へと出てみた。
……正直、拍子抜けしてしまった。
そこに広がっていたのは、ドラマチックな何かではなく、ごくごく普通の郊外の風景だった。

駅前にはバス停がずらりと並んでいた。きっと、もっと郊外に住んでいる人たちは、ここからさらにバスに乗り換えて家へ帰るのだろう。買い物袋を提げたおばあさんや、スーツケースを引く人。観光地では見られない、地元の人々の日常がそこにあった。
ミラノで感じた「ドーナツ化現象」
この光景を見て、僕はあることを考えた。
ミラノは、いわゆるドーナツ化現象が進んでいるのだという。中心部の人口は減り続け、人々はより暮らしやすい郊外へと移っていく。完全に都市化された中心部は、住むには少し喧騒すぎるのかもしれない。これは、日本の大都市とまったく同じ構図だ。
遠く離れたイタリアの街でも、人の暮らしが抱える悩みは、僕らとそう変わらないのだなと、妙に納得してしまった。
それでも――知らない土地の、こういう飾らない姿を見るのは、やっぱり非常にワクワクするのである。
“素の街”を見る旅は、今こそおすすめしたい
今思えば、この「終点まで行ってみる」という遊びは、一人旅ならではの最高の楽しみ方だった。誰に気をつかうこともなく、思いつきだけで電車に揺られ、知らない町に降り立つ。ガイドブックには絶対に載っていない、その街の“素顔”に出会えるのだ。
今ならGoogleマップのストリートビューで、行く前にどんな町か覗くこともできる。それでも、実際に自分の足で降り立ったときの空気感や、すれ違う人々の表情は、画面越しでは絶対に味わえない。便利になった時代だからこそ、あえて「何があるか分からない終点」へ向かう価値はあると思う。
ひとつだけ注意点を。郊外は中心部と治安の雰囲気が変わることもある。日が暮れる前に行く、夜は無理をしない――このあたりだけ気をつければ、ディープな街歩きは最高の思い出になるはずだ。
まとめ
観光名所を巡るのも旅の醍醐味だが、たまには路線図の端っこ、終点まで足を伸ばしてみてほしい。
そこには、ガイドブックが教えてくれない“素のその国”がある。何の変哲もない郊外の風景こそ、後から振り返ると一番記憶に残っていたりするのだ。これだから、寄り道はやめられない。
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つづく。